
ちと同じように耳が聞こえないとわかりました。でも、「耳が聞こえなくても生きる喜びがある。このことをわかってくれるように一生懸命育てよう」と決心しました。
四年後の三十七年八月に長男の和男が生まれましたが、この子も耳が聞こえません。遺伝だと思います。私の両親はいとこ同士の結婚でしたから、不安も感じました。でも主人は男の子だというだけで、とても喜んでいました。
二人とも自立できるように、「責任を持って育てていこう」と決心しました。いろいろ大変なことはありましたが乗り越えられました。
娘も息子も豊岡ろう学校に入学、同時に寄宿舎に入り十一年から十二年、寄宿舎でお世話になりました。私も子供のとき経験をしているので懐かしく思いました。
運動会や学芸会などを見に行き、子供たちの成長を見て、「よく頑張っているなあ」と嬉しく思いました。と同時に、心からありがたく思いました。
ときどき夏休みや連休で我が家に帰ってきて、家族四人で過ごしていました。そのとき近所の子供たちが、「おし」とか、「つんぼ」とか言って、二人をいじめているところを見てびっくりしました。すぐにいじめている子供の家へ行って、お母さんにいじめたことを話しました。「すみません。子供たちに注意します」とあやまって頂きました。それからはいじめがなくなって安心しました。勇気を出して話をしてよかったと思います。
子供たちは中学部を卒業して高等部のある神戸ろう学校へ入り、遠くに離れて寂しくなりましたが、夏休みなどに帰ってきて、元気に成長した我が子を見てとても嬉しく思いました。
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